【批評祭参加作品】書くということについて/kaz.
 
コラージュを「置く」形で保持することができる。それらは別の場所へ移すことも、破棄することも可能である。これは、心に「書かれている」とも言えるし、あるいは「読み終えている」とも言える。より分かりやすく言えば、コラージュが意味の位置付けそのものを問うのである。

あなたはコラージュなどしたことがないと言うかもしれない。実を言えば、私もあまりしたことがない。けれどもコラージュのイマージュは誰もが持つことのできるものであり、こうした領域においては、もはやそれがコラージュ的であるというだけで十分なのである。ただし一つ言っておけば、コラージュは、芸術としてもイマージュとしても、読むこと/書くことの二項を縦
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