【批評祭参加作品】書くということについて/kaz.
たい衝動に駆られる。このとき私がいう意味は、恐らくは紙面の上のものではない。意味自体を打ち立てる主体の側にあるのである。こうしたものを、もはや意味と呼ぶことはできず、翻訳とか解釈とかそういう言葉を用いて表す必要がある。だがそれは少し行き過ぎな感じもする。そこで私はこの変質するものをコラージュ(コラージュのイマージュ)と呼ぶ。コラージュにおいては言葉はあくまで取り出されたものになる。けれども、コラージュは書くことでもあり、指定する空白のイマージュは私の心である。しかしコラージュは貼付けられたものとしての性格だけを有する訳ではない。言い換えればコラージュは、一つの作品である必要がない。そのため心にコラ
[次のページ]
[グループ]
戻る 編 削 Point(3)