【批評祭参加作品】書くということについて/kaz.
メージという語によって単純には説明され得ないものが存在することを、私は否定しない。文学極道をはじめとする随所のサイトにおいて、イメージという語が氾濫している。何故「イメージ」なのか? 何が「イメージ」なのか? 私はそう思わずにはいられない。こうしたイメージ偏重の風潮には、何かうんざりさせられるものがある。けれども自分のこうした感情を理解してくれる人も少ないだろう。むしろ、こうした小さな言葉の意味にとらわれて自分を縛るような事態は避けたい。それで私は考えた。イメージという語が嫌いなら、使わなければよいのだ。それはしばらくの間逃げ場にはなる。もちろん、問題は再び回帰するだろう。そういった意味で、「イメ
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