【批評祭参加作品】書くということについて/kaz.
イメージ」は撲滅できない。根絶できないからこそ、多くの書き手にとって重要なテーマなのだ。
同様のことが、「現代詩的」などの形容詞にも言える。こちらは、その作品が良くないということを主張するのにも用いられ、かえって悪質である。しかも使ってみると意外とかっこよく見えてしまうために、皆がこの形容詞を使う。心当たりがある人は、果たしてそれが本当に現代詩的な詩であったかをよく確かめて欲しい。私は思うのだ。散々ダメだと言われている現代詩手帳が廃刊しないのは、散々ダメだと言っている人たちでさえその言葉を使い、永遠に「現代詩」が死語にならないからである、と。そういうわけで、まだもう少し現代詩は書かれるだろう。だ
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