ヒューム「ベルグソンの芸術論」(4)/藤原 実
 
の中にまきこまれている一客体にすぎないことに醒めようとはしないのだろうか、と思ったからである。
 私にはこの時代が、決して避けられない必然の下に暗い様相を帯びているとは思えなかった。悲劇的ではあったが、悲劇そのものではなかった」


「私は疑似悲劇的な多くの詩人に、なじみがたいものを感じた。それは、魅力的ではあったが、どこか冷たかった」


「……こうした露出狂的な死の時代の賛歌は、他人に『話しかける』ことは勿論、自分を変えるということさえできなかった。私はここに『幻滅的な現代の風景』の一つの要素として『自分を愛撫している』詩人を感じたのである」


        (寺山修司
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