ヒューム「ベルグソンの芸術論」(4)/藤原 実
 
修司「戦後詩―ユリシーズの不在」:ちくま文庫)


「…自分もまた、幻滅の中にまきこまれている一客体にすぎないことに醒めようとはしないのだろうか」という部分を読んでぼくが思い出すのは、マーシャル・マクルーハンの『メディア論』のなかのギリシアのナルキッソス神話に関する考察です。
マクルーハンはここで、ナルキッソスが泉に映った「自分自身」に恋をした、というような通俗的解釈を退け、彼は、水に映った自分自身のイメージを「他人と見まちがえ」て、その姿に魅せられてしまう。このときナルキッソスはじぶんを見失ってしまった。そのショックが彼の知覚の麻痺を誘発し、水仙と化してしまうのだ、と述べています。

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