ヒューム「ベルグソンの芸術論」(4)/藤原 実
にふけっているのでない。詩人と読者の間を埋めようと一生けんめいに身をのり出して説明する。しかし、読者の耳を捕えない。
…このマジメな詩人は、彼の重大な認識を表わすのに、唯一の方法としてメタファーにたよりすぎるくらい、たよっている。」
「荒地の詩人たちは死隠喩(たとえば「春の訪れ」のように日常用語になったもの)と詩的隠喩(「残酷な季節の訪れ」)を区別することが、すなわち、メタファー研究のすべてであるかのごとく精力を傾けている。それでうまく説明しつくせなくなると、擬隠喩というのを中間に設ける(ポスターなどの「高原は招く」やニュースの「冷たい戦争」など)。そして「審判」のつまらなさも
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