ヒューム「ベルグソンの芸術論」(4)/藤原 実
 
さもこの、文学と非文学、詩のメタファーと日常のコトバ、をあまりにも鋭く区別したがる傾向から来ている、とぼくはかんがえる。そこでは、コトバが生きていない。あるいは、神風タクシーの運転手のように、まちがった方法で酷使され、へとへとに疲れている。これ式のコトバはぼくたちのハナシ言葉の世界から、ずーっと遠いところで、ぼくたちの実感とかかわりなしに、それ自身の回転をつづけている。もはや文語だ。」


「じつは知覚の仕方そのものが、メタファーのプロセスなのだ。ここでアリストテレスのマチガイにもどらなくてはならない。『それは天才のしるしである。なぜなら良いメタファーをつくるには類似を見る目がなくてはならな
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