ヒューム「ベルグソンの芸術論」(4)/藤原 実
いってしまったように思います。
荒地派の詩人たちのコトバの感覚麻痺がいかに重症であったかは、彼らが非常に「隠喩」というものを偏愛したことにも表れているのではないでしょうか。
荒地派はヒュームの言う「新鮮な比喩」の創造を詩人の特権的な能力として極度に強調し、彼らの詩の方法のカナメとしたのです。
片桐ユズルは詩論集『詩のことばと日常のことば』(思潮社)のなかで、荒地派の吉本隆明の「審判」という詩について、「あまりにも自分の表現方法を発明しようとして骨折り損をしている。マチガッタ努力をしてコトバをへとへとに疲れさせている。それよりもコトバ自身の伸びようとする法則を発見し、その線にそって助け
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