ヒューム「ベルグソンの芸術論」(4)/藤原 実
 
っていたであろう。」


         (マーシャル・マクルーハン「メディア論」第4章:みすず書房)


マクルーハンの言う、自己を映し出し拡張するメディア(詩人の場合はコトバ)を、自己の感覚の延長としてとらえる、という点で鮎川たち荒地派の詩人には大きな欠落があったのではないでしょうか。

荒地派はモダニズムの無意味無内容性を批判して「意味の回復」を強調するあまり、実験を重ねることでコトバそのものの密度を高めていく二十世紀の詩の革新運動からは大きく後退して、「批評性」「思想性」というようなコトバの全体性からは切り取られ限られた一面、どちらかというと散文的働きの方に傾倒していっ
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