「荒地」を読むための諸前提 2/るか
 
されていないと

  (…)
  ああ いつの日からか
  熱烈に夢みている

 のちに「私のユートピア」というエッセイのなかで、鮎川は、自分はユートピ
アを信じる心をとうになくしてしまった、と書いていますが、これは楽観的なユ
ートピストを戒める誇張のように私には思えます。しかし、大東亜共栄圏とソ連
というユートピアの惨状を見聞して猶、ユートピアを云々することは、倫理的に
はばかられるとの思いはあったかも知れません。
 敗戦の激烈な体験のなかで夢みられた、ユートピアとしての「アメリカ」。そ
れは現実のアメリカに対して、「反」ないし「非」の関係にあるような仮構です
。戦後の
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