演劇の有用性について/salco
 
途方もない課題には違いない。

ところでその時我々は、ミッフィーちゃんの意匠やサザエさん一家のありようで絶望を忘れられるのか。まさか。結局その時は個に収斂せざるを得ないの
だろう。理知を離れ希望を離れ、思考からさえ離れて配偶者や同居人、肉体知己(所謂恋人)或いはペットの侘しい体温へと向かわざるを得ない。
決して1歩を踏み出すことのない、それは家畜小屋への名誉なき撤退であり、ただ習慣的な、最も卑近で脆弱な実存の1点へと還ろうとするだろう、と思
われる。こうして我々が怯えた虫けらの防御体勢にまで萎縮する時、人智が今までお外でして来た高邁な遊蕩や労作に一体どんな意味を付与できるのか。
例えば
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