演劇の有用性について/salco
 
を信用せず極右・極左思想に警戒感も抱く現在の我々小市民としては、このカタルシスが相当に緩和
され健全に制御されている市井の劇場へと足を運ぶ。ご長寿女優のでんぐり返しを寿ぎに帝国劇場へ行く人もいれば、スズナリ辺りの貧乏臭い客席に肩を
すぼめて自分より貧乏臭い俳優達に暫時呆れる人もいる。どちらも祝祭であり非日常の、深い深い地母神のアソコの穴なのだ。アソコとはココでもソコで
もない、懐かしくも謎めいた遠方なのだろう。
そこで我々は息を潜めて人間を見る。剥き出しの、見た事のない見覚えのある人間を、その内面世界が現実世界を圧殺凌駕して立ち現われるのを目撃、と
いうか疑似体験するのだ。時には狂気の内
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