埋め込まれるもの/番田
も言われることのないまま部屋の中にたたずんでいた。そこで色々な旅行雑誌をめくっている私は、いつの間にか思い描いている、パリのオルセー美術館の前の行列でヤンキーガールというか、ハーレム出のようなそんなイメージの思い浮かぶアメリカ人の黒人の女の子に英語ができるかと聞かれて、前に割り込まれそうになったものだ。日本人のように他人のものをそこで何ひとつ自分のものだと思わないということは、それはそれで平和な感覚なのだろうかと疑問に思う今日も、私は延々と、どこまでも続く夜の川縁を歩いてきたのだけれど、ブラジルだったら素敵な女の子に羽交い締めにされていた可能性もある。それにしてもどんな国でも労働者に対しては、何か
[次のページ]
戻る 編 削 Point(1)