歴史的自己  死者を介して    mixi日記より/前田ふむふむ
 
といえるのではないだろうか。
たとえ、広島原爆記念館や千鳥が淵の戦没者慰霊碑で、個人の内面に深刻に刻まれることや、感じたことがあっても、
実際、体験した人の比較ではないだろう。もし、分るといったのならば、それは、僕の傲慢の他はないだろうと思う。僕の見ているものは、あくまで物語(のようなもの)なのである。
詩を読むときにおいても、考えなくてはならないだろうと思う。
石原吉郎の詩の世界や鮎川信夫の詩の世界を、物語(のようなもの)として、読むことはできるが、石原吉郎や鮎川信夫が直面した世界を、決して解ることは出来ないと考えているからだ。(勿論、そう考えていない人も当然いるであろうと、考えているけ
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