歴史的自己  死者を介して    mixi日記より/前田ふむふむ
 
るけれども。)
だから、方法論としては、詩を読むことにもいえるだろうけれど、
僕たちに出来ることは、
歴史の中にいる僕、横軸の中に存在する僕を自覚しながら、
歴史というもの、即ち過去をそのまま安易に受け取ることではなく、疑りながら(勿論、歴史を読んだり、学ぼうとする僕自身を疑りながらであるが)、傷のない、痛みの伴わない、死者の体験をする事だろうと考える。
そして、その体験を、僕自身が、即ち、今、生きている時代がもつ、傷や痛みや喜びといったものを経験する生々しい僕(この僕がする経験は過去の者たちが経験し得なかったものである場合もとても多くあると思う)が、この僕が、
自らの受肉にしてゆくこと(同時に、そうする事しか出来ない僕の限界が在ると自覚し認識する必要があると思うのである、)が、
即ち、そういう諸々を、受け継ぐことが、僕の新たなる歴史であると考えている。

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