シェドゥムのための習作/有末
 
であるかのように彼を見たし、思い出を共有する者にむけるあの暗号めいた仕方でもって小さくはにかんだのを左目は見逃さなかった。その認識にやぶさかでない、と右眉も相方と足並みを揃えて感嘆のポーズをとる。

突然あらわれた知己のような結末への道筋を歩むべきではないのだろうか。まだ間に合うかもしれない、自らの関与の欠落が自分の知らない場所で、知らない結果をもたらすのではないか。けれどそこに本質的な差はないのではないか。それにおいて自分がなせる役目といえば、ただ観ることなのだから。いつでも視線をやって、肯定も否定もせずに受け入れるだけ、淀まないものに杭を打っても流される。岸には上がれない。信仰のような敬虔
[次のページ]
戻る   Point(1)