川柳を誤解してた/ふるる
 


もう綿くずも吸へない肺でクビになる


などの壮絶な反戦・社会批判的な川柳を作ったのが、鶴彬(つる あきら)という人。その後、昭和40年代までは、六大家といわれる柳人が出て、みなその門下に入って川柳を作っていたそうです。

そして現代。川柳は確固たる師弟関係もあまりない個の時代となり、江戸時代の三つの基本から外れることも多くなり、今に至ります。つまり、究極は「にんげんのうた」というひとくくりになったそうなのです。
つまりつまり、「サラリーマン川柳」や「時事吟」などの、面白い、気が利いてる、というだけが川柳ではないと。本の文章を抜粋しますと、

「サラリーマン川柳のすべてが、悪
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