それは違うのではないでしょうか?──ぽえりんこ大会参加への第一歩として、ある分水嶺を予感しつつ──/藪木二郎
 
沈むぬまたばのようなものに胎児のように身をゆだねて、異様なもの、外れたもの稀なものへの知的好奇心や関心が及ばなくなった。

 そういえばこのような状態も、一種の「ディスコミニケーション」状態と言えそうですね?


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 また、以下の点についても、私は違和感を感じました。

>ほんとうの戦争という経験をくぐりぬけてきた当時の日本を含む世界の芸術家たちにとって暗黙の符丁があったとすれば、それは芸術というものはコミニケーションにではなく、徹底的にディスコミニケーション(沈黙)に基礎をおくということであった。

 たとえそれが「当時の詩人たちにとっては口にする
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