それは違うのではないでしょうか?──ぽえりんこ大会参加への第一歩として、ある分水嶺を予感しつつ──/藪木二郎
 
することも必要のないほどあたりまえのことであった」としても、「暗黙の符丁」をもって他者を批判するといったような行為は、やはりマズいのではないでしょうか?

「ディスコミニケーションの状態」、「おびただしい無形のエネルギー」の「消費」、そして「あらわれる」「何か」。
 これでは「妙に着飾った聴衆」が、「吉本が何をいっているかよく解せ」なかったとしても、無理はありません。実は他方で、妙に何かを解った気にもさせられる話なのですが、それこそその気分は、ある詩に接したときにふと懐かしい気持ちにさせられたといったような気分と、ほとんど相似的なものでしょう。
 否定すべきものは否定すべきですし、掬い上げるべきものは掬い上げるべきです。
 ある現代思想の大家の言葉に「誠実な不誠実さ」という言葉がありますが、そんな「不誠実さ」(あるいは「誠実さ」)は、当然のことながら、あり得ません。

 吉本氏はそこに含まれていないのかもしれませんが、やはり私は、大括りに言って、現代思想系の諸潮流を信用することができません。
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