笹野裕子「今年の夏」をめぐって/葉leaf
 
認識である「景色は常に後ろ向きに流れる」や、可能的解釈に過ぎない「主体が後ずさりすることを強いられる場所がある」は、意識の表層に現れにくい。いわば、非常識的認識である顕在的な詩行は、常識的認識や可能的解釈を底辺に控えさせ、そこから自在の距離をもって浮遊しているのである。このように、顕在的な詩行を主旋律として、それに対位するものとして常識的認識や可能的解釈を分岐させ伏流させるという経時的構造は、単なる散文よりも詩に多く見られる構造である。笹野の詩は、上記の意味で詩的である。

2.主体と客体との豊穣な入れ替わり

人にたくさん会った日は
耳がかゆい
詰まった言葉を全部取り出してしまわない
[次のページ]
戻る   Point(1)