笹野裕子「今年の夏」をめぐって/葉leaf
 
書法がそぐわない詩が創り出されることがしばしばある。
 「自由詩」とは言っても、実際は、詩人は自らの形成した詩作工程に束縛され、認識の精度や表現の範囲などはそれぞれの詩作工程によってそれぞれ制限される。それぞれの工程にはそれぞれの長所・短所があり、完璧な詩作工程など存在しない。笹野の詩作工程だったら、詳細な描写や認識、観念的な世界把握などの点においては弱い。自らの詩の足りない部分を補おうとしたら、詩人は新たなる詩作工程をものにしなければならない。もちろん新しい詩作工程にも欠点はあるわけで、詩人の技能習得の旅に終わりはない。

完成度の高いものを目指すんではなくて、『自分の詩』を目指すようにし
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