笹野裕子「今年の夏」をめぐって/葉leaf
 
にしたいなあって。迷ったり、間違えたりしながらでも自分の足で歩いていく過程が、わたしの詩の道とちゃうかしらんって
        (『あとがきにかえて』より)

ここで「自分の詩」は、あたかも唯一絶対の何物かであるかのように語られているが、「自分の詩」は複数あってもかまわない。むしろ複数あるべきである。実際、「迷ったり、間違えたりしながらでも自分の足で歩いていく過程」において、複数の詩作工程を身につけることは大いにありうるし、そうあるべきである。複数の詩作工程を体感した方が、詩についてより深く客観的に理解することが可能になるからである。

4.生き物としての詩集

 詩集「今年の夏」
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