笹野裕子「今年の夏」をめぐって/葉leaf
のことしか感受できず、一つ一つの表現を吟味していたら、快活な詩にはならなかっただろう。だがそれだけではなく、一つの習慣、一つのシステムが、実際上は笹野の詩の快活さを生み出している。笹野は詩としての表現を積み重ねていくある段階で、鋭い感性に裏付けられた直接的な日常語の使用という詩作習慣・システムを形成し、これに束縛されるようになった。だから、今となっては、笹野は自ら形成したシステムによって快活な詩を書くことをいわば「強制」されているのである。だから、引用部のような父の重篤な病に関する詩でも、笹野は快活に書くことを「強いられた」のである。詩人が自ら形成した詩作習慣に束縛されることによって、テーマと書法
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