笹野裕子「今年の夏」をめぐって/葉leaf
題となっていて、「剥がす者」(「私」)→「剥がされる者」(「私」)の交代はあるが、「剥がされる者」→「剥がす者」の交代はない(「私」が剥がした言葉が、私の言葉を剥がすある他人のものであるとは限らない)ので、(5α)の類型である。では、このような片面的主客交代はどのような詩的効果を持つか。
まず、(3)のように主客交代がない入れ替わりはそれほど面白くない。「人が肉を食べる/山羊が野菜を食べる」には、同じ構造の繰り返しという微弱な面白みがあるに過ぎない。だが、(4)のように主客交代があると、一つの文構造においてある要素が一方の極で安住していたのに、その安定を裏切りその要素はその文構造の反対の極へと
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