笹野裕子「今年の夏」をめぐって/葉leaf
 
へと移動してしまう。「私は夜を食べる」において、「私」は作用素・主語としての地位で安定していたのに、すぐさま「夜は私を食べる」において受動素・目的語としての地位に反転させられる。この不安定さが読者の期待を裏切り、読者に認識の更新を強制し、それが微弱な違和感とともに知的な刺激となって読者の感性を楽しませるのだ。
 だが、(4)の双面的主客交代のケースでは、「主体が客体を食べる」という文構造の要素(主体・客体)を埋めるのは「私」と「夜」だけであり、文構造が適用される範囲が広がってゆかない。主客交代は閉じてしまっていて、「私」と「夜」しか交代する要素がない。それゆえ閉塞感がある。それに対して、(5α)
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