戦後詩ーユリシーズの不在ー寺山修司を読んで感じたこと/……とある蛙
マイナスの批評が怖い人は結局、詩自体を書きたくても書かないか仲間内に分かる詩だけを書くようになるのではないか。
※2 逆にこのことは、鑑賞者にある程度の素養が要求されることを意味する。つまり、詩に感動するには、詩をある程度読むことは必要なのです。この矛盾。朝令暮改です。しかし、楽に感動したい。
日本の戦後詩の自己中毒性はこんなところにもある。過去の反省と言いながら過去を反省するようなスタイルをつくってしまう一群の人たちもおり、自分たちの仲間内で詩に対する大層な役割を規定してしまい(仲間内での話なので世間は知らないー地底人の地球侵略の相談のようなもの)詩をつまらないものにした。
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