戦後詩ーユリシーズの不在ー寺山修司を読んで感じたこと/……とある蛙
※3 前向きな明るさを持った詩は谷川俊太郎の詩を待たなければならない(彼の詩は生きる強さ明るさがありますーことばあそびの楽しさも思い出させてくれます)。
詩を書くものは嘘つきであるべきだ。嘘つきが定着しなければ普遍的な表現形式にはなれない。私小説的世界では一部の人たちにしか理解されない。
しかし、同じ嘘つきでも
ナルシズムに堕している詩は嫌いだ。
疑似悲劇的な詩も嫌いだ。
気取った詩も嫌いだ。
照れている詩も嫌いだ。
詩に解説は不要だ。
詩に誤解は付物だ。
ただ丸ごと愛せなければ
詩何ぞは好きになれませんよ。
Kさん!
ところで、Kさんって誰?
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