「かなしさはかなしみのなかにあるのではなくよろこびのなかにある / 仲 仲治」を読んでの感想文/鵜飼千代子
われだから」という部分もわかります。そし
て、最後の部分、
かなしいひとが
いつしかよろこびのなかにいるとき
みずたまりがかなしさという
ことばになる
あぁ、そうだったのか、「かなしさ」のみずたまりがきらきらさんざめいている訳は。と
思いました。光が射したのですね。
気になったのは
みずたまりをつくりたいとねがう
の一行です。「ねがう」のは「かなしみのなかにいるひと」でしょうか、「おとされたこ
とば」でしょうか。「かなしみのなかにいるひと」だと書かれているのだと読んだのです
が、はたして「ねがう」だろうか?という疑問を持ちました。ここ
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