感情による共感、によらない一体感についての個人的な考察/テシノ
思い出だ。私達はそんなものに縛られながら日々の生活を送っている。普段の私達は「自分」をどこかに置き忘れて出掛ける事など不可能なのだ。
だからこそ、「行為するものと行為されるものの境界が消える瞬間」の体験は、自分をその柵から解放し、浮遊するような快感があるのではないだろうか。
感情体験による一体感がカタルシスに繋がるとすれば、非感情体験による一体感はエクスタシーに近いのではないだろうか。
そしてこれは映画だけに限らない。この現代詩フォーラムにおいても、タルコフスキー作品から受ける印象と同質のものを与えてくれる作品と出会う事がある。
私は元々、現代詩について多くを語れる知識を持っていないの
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