感情による共感、によらない一体感についての個人的な考察/テシノ
 
に目を向けるのだろう。だが「感情による共感」を封じられた作品を好む者達は、それらに何を求めているのか?
ネット上などで「難解作品が好きだなんて言う奴は、ただのカッコつけだ」という誰かの発言を目にするたびに
「違うんだよ…つまりこう…違うんだよ…!」と、言葉で説明できないもどかしさに身をよじったりよじらなかったりしていたのだが、最近ようやくその正体がぼんやりと見えてきたように思う。
それが「行為するものと行為されるものの境界が消える瞬間」だ。
私はタルコフスキーの作品を観て、感情を一切必要としない、対象物と同一化する事で得られる一体感を楽しんでいるのではないだろうか。ともあれ、そこに私がえも
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