シコシコ/攝津正
ももう七十四歳。収入も殆ど無かった。親に頼ろうにも頼れなかった。三十五歳の世間で言えば働き盛りの筈の自分が何も出来ぬのがもどかしかった。だが、出来ぬ物は出来ぬのである。どうにも仕様が無い。
生きて行く事が出来ぬ。生きられぬ。
朝昼晩と攝津は衰弱を感じた。苦悶していた。ただただひたすらに苦しかった。神経性の苦しみは消せない。ただ苦しむしか無かった。堪えるしか無かった。薬も大して効かなかった。地域生活支援センターに行って相談しても根本的な解決は見出せなかった。攝津は自分に救いがあり得るという事に懐疑的だった。自分は死ぬしか無いのではないか、その方法と日時だけが問題だ、と考えてみたりもした。だが
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