夢の競馬場/花形新次
の人生にとってかけがえのないものか、人々に優しく訴え続けた。ジョージの言葉は、少しずつ真に良識ある人々の心に届き、その結果、4年の空白は生じてしまったものの、1980年に虹色の絵具競馬は見事復活することとなった。(本当のことをいうと、鎌倉市の財源の約3割を虹色の絵具競馬の収益が占めていたことを考えれば、虹色の絵具競馬の廃止が何を意味するのか、小学生にだってわかりそうなものだった。虹色の絵具競馬復活は鎌倉市政の観点からも当然のなりゆきだったのだ。)復活の日に、その立役者としてイベントに招待されたジョージは、ウイナーズサークルに設置されたステージに立ち、彼の代表曲「擦り続けるってこと」を熱唱し、大歓声
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