夢の競馬場/花形新次
 
歓声を浴びた。当時13才の僕は虹色の絵具競馬の大ファンだった父親に連れられ、その場所に居あわすことができた。虹色の絵具競馬史上に残る感動的なシーンだった。

最近の彼は、鎌倉駅前の商店街にあるバーで、ギターを片手に古いブルースを唄い、週末になると、虹色の絵具競馬にという生活をしていたようだ。
にこにこ微笑みながら、レースを観ている姿を、僕も何度かみかけたことがある。本当に幸せそうな笑顔だった。

そのジョージ若松が死んだ。享年58才。虹色の絵具競馬場へ行く道の途中で、脳溢血を起こして倒れ、そのまま逝ってしまった。早すぎる死だった。

そんなジョージのように、虹色の絵具競馬を愛し、虹色の絵具競馬のために人生の一部を捧げた人々がいる。
そして虹色の絵具競馬は、僕の人生の一部になった。

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