労働/攝津正
ものを読むより先に柄谷行人の批評を読み、それから漱石を読んだから、どうしても偏見なり先入見が入っている。出来るだけ、偏見や先入見を排除して漱石なり他の作家なりを読みたいと攝津は願っていた。再読、再々読は、作品その物に迫る為の営為である。実際、三島由紀夫の『豊穣の海』再読は、攝津に大いなる満足と感動と発見を齎した。同様に、他の作家も読んでいきたい。
攝津は書く為に読み読む為に書くのである。攝津は、水村美苗の『日本語が亡びる時』に影響されたわけではないが、近現代の日本語で書いた作家のテキストにじかに触れる事で、自分の日本語を磨こうとしていた。膨大な読書が、文体を変える事が出来るのかどうかは分からぬ
[次のページ]
戻る 編 削 Point(2)