労働/攝津正
 
出来なかった。別の言い方をすれば、攝津には自分自身に対する信仰が欠けていた。攝津は、自分はこれこれである、と安寧を持って信ずる事がどうしても出来なかったのである。

 攝津は働くようになってから、マイノリティが現代日本では解放されているなどというのは嘘だと思うようになった。新宿二丁目で幾ら性を謳歌できたとしても、職場で家庭でカミングアウト出来ている人が何人いる? ホモねた、レズねたの冗談を聞かされない職場があるか? 幾ら屈辱に耐えればいい?
 日常の生活なり労働の現場では、日本的世間でいう常識と平均的人間が支配している。支配しているという自覚も無いままに。外国人差別や軍隊讃美の言説に耐えねば
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