【批評祭参加作品】つめたくひかる、1?江國香織『すみれの花の砂糖づけ』/ことこ
 
つめたいメロン」をモチーフとして語られているわけだ。
 そう考えると、「おっぱい」でも、「つめたい/どうぐ」であるという「おっぱい」に対して、どこか冷めた視点、精神的な距離があるように思われる。
 では、「9才」ではどうか。「ガラスケース」の中の「レバー」は、話者から物理的な距離もあるわけだが、そもそも、人が憧れを抱くのは、精神的な距離、方向性の違い、があるからではないだろうか。「よそゆきの服はきらいだった」(「よそゆき」)と語る、両親の庇護のもとにある作者と、母に「顔をしかめ」られるグロテスクなレバー、その立ち位置の違いが、「私」に憧れを抱かせているのではなかろうか、と言える。
 ここでも
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