【批評祭参加作品】逆KETIPA??極私的な詩のつくりかたとよみかた/KETIPA
 
になんとか翻訳して伝える。批評の場合は、他人の内面を人間語に翻訳されたもの(つまり詩)を読むことで生じた印象(機械語)を、さらに人間語に翻訳してアウトプットする必要がある。後者の場合三回の翻訳を経ているため、当然最初に生じた作者の機械語(内的感覚)は、批評する側のアウトプットに至るまでに相当変質している。また、この四つの言語(作者の機械語、作者の人間語、批評者の機械語、批評家の人間語)は当然別物であるため、一意的な翻訳など成されるわけがない。それが当然だ。それが当然だからこそ、さまざまな解釈による批評が可能なわけで、そしてそれらのほとんどは、おれの受ける印象を説明してくれない。自分で翻訳していない
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