【批評祭参加作品】逆KETIPA??極私的な詩のつくりかたとよみかた/KETIPA
 
ないから。

 いまおれの場合、自分の機械語すらまともに翻訳できず、どうにも不完全燃焼な詩になってしまう。その連続で情熱が失われつつあるのも確かだが、はっきり言って「現代詩をそんな読み方してないゆえに」以来進展がない。夢の蓄積は徐々に進んでいるので、それを形にしてみようか(夢はいやに抽象的なので、結構詩に使えそうなモチーフが転がっている)。

 コンピューターの世界では、機械語を人間語に翻訳するソフトなリシステムなりを、逆アセンブラという。おれの場合は、KETIPAの中に生じた夢のような機械語を、出来るだけ忠実に、いらん解釈や無駄な技巧を排除して、人間語に翻訳するこころみを繰り返す必要がありそうだ。逆KETIPAといったところか。それが出来るようになれば、もうちょいましな批評が出来るようになっていることだろう。あんま関係ないかな。
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