365分の1としてのクリスマス、あるいは本のカバーについて/robart
いうことだ。本はどれだけカバーが、表紙が酷くても中身が秀逸なものがごろごろしている。本当にすばらしい本なのに、表紙が実につまらないときがあるのだ。これはかなり高い頻度で存在する。そんなとき僕は問答無用で表紙を、カバーを破り捨ててきた。一万円以上する本だろうと捨ててきた。多くの場合、カバーが酷い本はそれを取り外してやると本体の装丁は案外いいものなのだ。『利己的な遺伝子』もそうである。無機質で無粋な表紙カバーを外してやると、黄土色のいかめしい本体が姿をあわらす。あるいはロラン・バルトの『美術論集』もそうだ。そういうわけで、僕は本当に読みたい本があった場合、それがどれだけ色合いや装丁としてまずい表紙、カ
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