365分の1としてのクリスマス、あるいは本のカバーについて/robart
ない気持ちになった。本棚だった。僕はディランのSaraを聴きながら本棚に向かうと、カバーのない本をすべて取り出した。分厚い哲学書(たとえばメルロ・ポンティの『知覚の現象学』)から新書(『大学生のためのレポート・論文術』)にいたるまで、カバーのないむき出しの本をすべて取り出し、僕は大きな大きな後悔に襲われた。僕は愕然とした。取り返しのつかないことをしてしまったと思った。僕はカバーを捨てるべきではなかったのだと思った。どれほど僕の趣味に合わないカバーだとしても、僕はそれを外して破り捨てるなどということはしてはならなかったのだ。
この話を彼女にしたところ、彼女は満足そうに何度もうなずきながらこう言
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