365分の1としてのクリスマス、あるいは本のカバーについて/robart
う言った。
「だからあなたが禅だとか日本的霊性だとかって口にすると、私はたまらなくやるせなくなるのよ。結局、あなたは座禅を組んでいる自分にうぬぼれているだけなのよね。」
クリスマスは華麗にスルーされて、またいつものと変わらない12月26日がやってきた。僕は大学二年生の冬――つまりはディランに涙して以来本のカバーを外したことがない。本棚のすべての本は――それがどれほど不器用な色味を提供していたとしても――カバーのついたままにされてある。ディランは歌う。コンパクト・ディスクは40年も前の彼の声をそのままに伝えてくれる。音楽の本質は即興性にあるが、人は絶えず再現性も求めているのだ。
彼は歌う。朝目覚め、夜眠りにつく。もしその間に自分の好きなことをやっていれば、その人は成功者だと。
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