死の冷たさについての素描/岡部淳太郎
どと言う者がいるが(かく言う僕も、いつだったか、某巨大掲示板で「岡部淳太郎氏ね」と言われたことがある)、そういう文面を見るたびに、これを書いた人は死というものを知らないのだ、だからこそこんなことが言えるのだと思ってしまう。先ほども書いたように、妹が亡くなった時の遺体の冷たさと硬さに触れてしまった僕には、とてもそんな言葉を吐くことは出来ない。死の冷たさに触れてしまったら、他人に対して(それがその場にいない見えない他者であったとしても)簡単に死を願うようなことは出来ない。人は生きている限り相対性の中にあるが、それは混沌であると同時に、往来自由な場でもあるのだ。その自由を奪われるというのがどういうことか
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