死の冷たさについての素描/岡部淳太郎
とか、生の混沌が秩序へと収束させられてしまうというのがどういうことか、このような言葉を吐く者たちはよくよく考えてみる必要があると思う。
僕は普段の生活においては相対性の中にいる。だが、こと妹の死に関しては、絶対性の中に踏み入ってしまっている。妹の死から学んだ「死という概念」が、僕にそうさせるのだ。おそらく絶対の領域というのは(それが直接「死」を表したり志向したりというものではなくても)そう簡単に踏み入るような場所ではないし、簡単に踏み入ることを許さないようなものがその領域自体にあるのではないだろうか。死というものに代表されるそうした絶対的領域の峻厳さを、妹の死を通して垣間見ることが出来た。それは徹頭徹尾相対性の中にあるはずの生を生きる僕にとって幸福なことだったのか、それとも不幸なことなのか、それはこれから僕が生きていく中で次第にわかっていくことなのかもしれない。とりあえず僕は、生の相対性の中で周囲の雑多な人や物に振り回されながら生きて、これまでと同じように惨めに迷いつづけていくのだろう。それだけは確かなことだ。
(二〇〇九年三月)
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