死の冷たさについての素描/岡部淳太郎
 
の関係性の中で主体が揺れ動きつづける生の相対性とは違って、死は相対すべき対象物を持たない。そうした対象物のおかげで暖められるのが生だとすれば、死は何物とも相対しないから周囲からかき回されることもなく自らの内で閉じている。だからこそ、そこには冷たさが宿りうる。おそらく僕が妹の遺体に触れて死の恐ろしさを感じたのは、こうしたエントロピーの増大による熱的死を感じ、そこから相対性の方へ引き返すことが出来ないものを感じたからではないだろうか。それは生の側にいる者が生の論理とは対極にあるまったく異質なものに触れたがための、恐怖であったと思われる。
 最近、ネット上などで、人に向かっていとも簡単に「氏ね」などと
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