短歌と文法、詩と文法/非在の虹
よい。短歌用語はしばしばことを分からなくさせる。その音楽性がポエジーをのせ、ポエジーの構成要素たる思想、感情、思考を人々の心に広げてゆく。
短歌は、単語、韻、律、先に言った調べ、そしてそれらを読解させる方法としての文法によって作られている、と言ってよいが、なんにしても短歌は先ず詩であり、詩以外の何物でもない事から、詩の自由の論理を内包するのだ。僕たちの心、あるいは自我と言ってもいいが、それがある事象に反応しポエジーを発生させるとき、その表出に、単語、韻、律、調べ、文法を駆使するのである。ここに一編の詩が生まれる。あくまでも短歌と言う方法を駆使するのは、僕であって、ポエジーの本質を曲げてまで、韻律
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