短歌と文法、詩と文法/非在の虹
がよく、大昔の詩の方法のみならず、音楽、演劇、絵画の分野においても、昔の方法を保存し、再現している。このような民族はそういないのではないか。
しかし、ほとんど死滅したと言っていい詩の形式もある。それは漢詩である。
このように、存続と死滅を分けた要因とは何だろうか。僕は、ことに短歌と俳句が生き続けた理由として、正岡子規の業績が無視できないと思っている。
子規は、古今和歌集を「くだらぬ集に有之候」と言い「小倉百人一首は悪歌の巣窟なり」と、こんにちの僕らから見れば、なんという乱暴なと、後ずさりしそうな、激しいコトバをなげつけ、そしてこの一首である。
瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上に
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