短歌と文法、詩と文法/非在の虹
う行為は、なにも文法を意識せずとも、ふだんから僕たちは行っているのだ。国語の授業などというものがなければ、だあれも気づきやしなかったかもしれない。それにしても文法など気にせず、営々とあの泰然たる山脈を築いて来た日本文学にもなにかしら驚かされる。
もっとも現代のヨーロッパ的分析思考に慣れきっている僕たちが、驚いてみたところで、お門違いな話だろう。
だが、本居宣長のような、「からごころ」と言って、外国的思考を排除していた家のこどもに、まさに外国的(分析的)な偉業をなす人が生まれたわけだから、幾分の皮肉も感じざるをえない。
日本人が文法に無自覚であるということは、当然のことながら、法則は流動的であ
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