教育について/パンの愛人
邊氏は「相手が、『わからない、でもこれがわかりたい』という顕在的および潜在的要求を抱えていること」が教育における「最低限必要な条件」だとしているが、これもまた現実的であるようには思われない。
まず、「顕在的および潜在的要求」というのがひどく曖昧であるし、これがたとえば一般的な教養や初歩的な学習、またはしつけや道徳教育といったものまで含めて考えた場合、かなり異常な主張であることは間違いないように思う。へたをすると、そのような「顕在的および潜在的要求」もまた教育の産物であるかもしれないのである。同時に、渡邊氏のいうところの「理性ある人間」という存在も、やはりなにがしかの教育の結果であるかもしれない
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