教育について/パンの愛人
 
なり特異な状況論のひとつであって、とても一般に応用できるものではない。なにより、状況を「教育レイプ」と名づけ、双方を被害者、加害者に二分することによって、肝心の教育の意義そのものが隠蔽されてしまう恐れがある。言うまでもないことだが、たとえかれが「教育レイプ」の「被害者」であろうと、それによってかれの無知や誤謬が保護されるわけではない。

 それに「教えるとき、相手の内部の論理の筋を追わないと、相手は変わらない」というもっともらしい意見も、それが実際の現場で通用するものであるのか、また、それによってどれだけの成果が期待できるのか、それがもっともらしい分だけ、疑わしいように思う。のみならず、渡邊氏
[次のページ]
戻る   Point(3)